ホイットニーさん薬漬け破産寸前だった

米国歌手ホイットニー・ヒューストンが、
11日午後3時55分、ロサンゼルス近郊にあるホテルで死亡した。
享年48歳とまだ若い死。死因は不明とされている。
12日に行われるグラミー賞授賞式、
その関連パーティーに出席予定だったという。
彼女の高音の力強い歌声はゴールデンボイスと賞賛され、
アルバムやシングルの総売り上げは1億7000万枚を超えていた。
しかし、彼女は幸運だったとは言えない。
結婚した歌手ボビー・ブラウン氏との不仲、
離婚をきっかけとした薬物依存症、晩年は「破産寸前」だったという。
波乱万丈の人生だったと言っていいだろう。

グラミー賞を6度も受賞したホイットニーが、
奇しくも同賞授賞式出席を直前にして亡くなったのには因縁を感じる。

ホイットニーは、高級ホテルであるビバリーヒルトンに滞在、
11日夜にはグラミー賞関連のパーティーで歌う予定だったという。
しかし、ボディーガードの1人が、
4階の部屋で倒れているホイットニーを発見、
救急隊が蘇生措置を施したが報われず、死亡が確認されたという。
また情報は錯綜しており、浴槽で見つかったという情報もある。
他にも、数時間前までホテルのバーで酒を飲んでおり、
亡くなる30分前には母親と直接顔を合わせていたらしいが、
変わった様子はなかったと伝えてられている。
警察は事件性はないとしている。
12日の明け方、遺体は検視局に運ばれ、今後、死因が詳しく調べられる。

ホイットニーは、85年に「そよ風の贈りもの」で歌手デビュー。
良く通る高音の歌声でたちまちスターダムへ登り、
また、抜群のスタイルも彼女の人気のひとつだった。
その後、「すべてをあなたに」などヒット曲を連続し、
92年には主演映画「ボディガード」の主題歌、
「オールウェイズ・ラブ・ユー」が大ヒット。
同映画のサウンドトラックは、全世界で4200万枚売り上げた。
これは驚異的な数字である。
同年に歌手ボビー・ブラウンと結婚し、ホイットニーの生活は一変。

翌年に長女が産まれたことで、順調な結婚生活に見えていた。
しかし、実際は薬物と暴力に支配されたものだったという。
近年のインタビューやトーク番組などで、
結婚後にコカインなどの薬物使用を始めたことを告白しており、
「薬物が生活の一部だった」と心痛を語った。
ブラウンが薬物所持で逮捕されたり、暴力を振るっていたことも発覚。
それだけではなく、マネジメントをしていた実父が、
ギャラ支払いをめぐってホイットニーを訴えるなど、
歌よりもゴシップが先行してしまっていた。

00年にはヒューストンさん本人が、大麻所持の罪で起訴。
薬物、アルコール依存症を告白し、
04年には更生施設に入って治療を受けたという経緯もある。
この時期は歌手活動は休業状態で、コンサートも延期や中止が相次ぐ。
07年4月にブラウンとの離婚が成立。
しかし、薬物依存からは立ち直ることは難しかったようだ。

昨年5月には再び依存症の治療を始め、激やせした姿が目撃されている。01年に6枚のアルバム契約で1億ドルという、
米史上最高の契約を結ぶなど多額の資産を築いていた。
しかし、その資産も薬物購入費と治療代などに費やされ、
今年1月には、アメリカメディアは、
「コカインで全財産を失って破産状態」と報じている。
関係者も「今は発売未定のアルバムのギャラ100万ドルを、
前払いしてもらい生活している状態。
助けがなければホームレス」と証言していた。

ただ、一方、今年8月公開の「Sparkle」で、
15年ぶりに映画復帰、歌手活動の本格再開も期待されて矢先だった。
02年の米テレビのインタビューでは、
「10年後の自分」をどう想像するかと聞かれて、
「引退してのんびりしている」と語っていたのだが、
彼女の夢は叶うことはなかった。